マルコ1章

今日のみことばの分かち合い♡

 

☆マルコの福音書

1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。

1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、

 

☆感想

マラキ書

3:1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の主は仰せられる。

 

3:2 だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。

 

イザヤ書

 

35:8 そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。

 

ペテロの手紙第一

 

1:15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。

 

ヘブル人への手紙

 

12:14 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。

悔い改めることに関心がなくなると、教会はこの世の方策にどんどん走る。

 

今日の教会で、悔い改めることを嘆願するようなメッセージをどれだけ聞くことがあるか。

 

悔い改めずにして、聴いたとされる神の声とはいかなるものか。

 

悔い改めるのは、イエスキリストを最初に信じたときだけでいいと思っていないか。

 

それは、何年も入浴しないのと同じである。

 

しかし、まわりの人も垢まみれなら、自分も悪臭を放っていても平気だろう。

 

今日の教会もそうではないか。

 

日々、みことばによって、悔い改めなければならない。