ガラテヤ2章
☆今日のみことばの分かち合い
ガラテヤ2章
4 実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
☆感想
ガラテヤ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。
15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
わたしは28年前、開拓伝道ということばにひかれて悪い働き人にだまされ、救われた教会を出た。
その働き人はみことばを大切にせず、カウンセリング、ベニーヒン、トロントブレッシングなどさまざまな偽りの教えを入れ、10年ほどで教会をめちゃくちゃにし、教会から出て行った。
先週の日曜日に28年ぶりのその教会へ行った。
わたしは28年前に行ったことを悔い改めるべきだとみことばによって示されたので、昨日の伝道集会にも行った。
集会後、数人の教会員と話をした。
自分にとっては、融通が利かず頭が固いと思われるアドバイスも聞いた。
しかし、そのような兄弟を嫌うのではなく、愛するのが主のおこころだと今日のみことばから教えられた。
30人ほどの教会員の大半が50代以上、子どもの数はたぶんゼロだろう。
主がそのような教会に戻るようにいわれるなら戻ろう。
自分が楽しいか心地よいか好きかで判断するのでなく、主が望まれてるかどうかで決める。
その教会に戻るのがお心なら、そこで主はさらにわたしを砕きへりくだる者に変えられるだろう。
今日、長老に対して28年前の悪しき行いを悔い改める。