マルコ4章
今日のみことばの分かち合い♡
☆マルコの福音書
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です。」
☆感想
みことば(特に旧約聖書)を史実としてしか読まず、(それでもリベラルよりはましだが)イエスさまがたとえを説き明かされたように、説き明かすことができないなら、悟ることも、悔い改めることもできない。
みことばによって、悔い改めに導かれるのだから。
旧約の表面的な物語から、例えば、イスラエルの民がモーセに逆らったことを読み、私たちはそうならないようにしましょう程度の読み方で、この世で神さまに従えるのか。
そう思うなら、それはたいへん浅はかな読み方である。
リックウォレンの本を学びに使っている。
カウンセリング理論を説教に入れている。
みことばでは足りないから、聖書ぬきの結婚カウンセリングセミナーを開催する。
みことばを学ぶよりも、教会の行事に一生懸命である。
しかし、そういった人たちにいくら語っても、聞く耳がなければむだである。
わたしは、20年以上、繁栄の神学やカウンセリング理論にだまされていた。
しかし、だれも警告してくれる人がいなかった。
だれか一人でも、この警告を聞いてくれる人がいれば幸いだ。
自分に対するあてつけだと思うなら、まだ大丈夫だ。
けれども、自分は大丈夫だと思う人、自分には関係ないと思う人、その人はすでにだまされている。
コリント人への手紙第一
10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。