レビ記22章
☆今日のみことばの分かち合い
22:3 彼らに言え。代々にわたり、あなたがたの子孫のだれかが、イスラエル人が主のために聖別した聖なるものに汚れたままで近づくなら、その者は、わたしの前から断ち切られる。わたしは主である。
☆感想
創世記
17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。
4:10 モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。
エペソ人への手紙
5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です、──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
マタイの福音書
3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
ペテロの手紙第二
2:17 この人たちは、水のない泉、突風に吹き払われる霧です。彼らに用意されているものは、まっ暗なやみです。
悔い改めは、今日もっと軽視されている教理のひとつである。
本音の祈りと称して、いくら自分の心にあることを並べ立てても、そこに悔い改めが伴わないなら、なんの実も結ばない。
それどころか、そのような状態で主の奉仕を続けるなら、それはベオルの子バラム同様恐ろしい結末を迎えることになる。
モーセは、自分の状態を悔い改めようとせず奉仕に就こうとし、主に命をとられそうになった。
その人、その教会が表面的に祝福されているように見えるかどうかで、その霊的状態は判別できない。
主を恐れ、今日もみことばと祈りによって悔い改めに導かれよう。