マタイ16章

☆マタイの福音書16:1 パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せてくださいと頼んだ。

 

☆感想

 

天からのしるしを求める動機→イエスをためすため この行動は、パリサイ人・サドカイ人の教えから出てきたもの

 

わたしは20年くらい、繁栄の神学(成功哲学にみことばを自分たちに都合よく付け加えたもの)と成功哲学にどっぷり浸ってきた。

 

元気がなくなると、成功哲学をカンフル剤のように使っていた。

 

みことばは、役に立たないと思ったからだ。

 

イエスさまが、パリサイ人・サドカイ人のパン種に気をつけなさいというところを読み、わたしは未だにこの偽りの教えの影響を受けていることに気づいた。

 

毎日が楽しくなければならない。

 

刺激的なことを求めなければならない。

 

平凡で楽しくもない毎日を送っているわたしは、神さまのみこころを行っていないとどこか思っていた。

 

それは、まちがいだ。

 

みことばによって歩む毎日を送ることが、神さまのみこころだ。

 

教会やこの世のイベントで五感を満足させ、みことばに飢えていないか。

飢えを感じなくなったら重症だ。